蔵書
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先日、寺町の古書店で見つけて即買ってしまいました。
昭和2年 芸艸堂 発行
乾坤2冊 木版刷り
原画を描いた鐵翁禅師は幕末~明治初期の長崎のお坊さん。こんな画ながめているとやれ真品だ品違いだなんて議論はどうでもいいように思えてきます。
蘭は欲しいと思ってもそのうち増えて縁があったらまた会えるわ と我慢できますが
古書は一期一会、つい無理して買ってしまいます。
ところが帰って日本の古本屋で検索したらなんと一番安いの5250円で出ていた。
まあ、しゃあないです。
○ こんな本や、コレクションの中国、日本の蘭書もこんどの蘭展に並べておきます。
興味のある方はお茶でも飲みながら自由にめくってください。
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久々に中国語教室に行ったら宋梅が咲いていました。
えっ、ちがうみたい? って
いえ、まちがいなく宋梅です。
去年は普通に咲いてましたから..
今年はあっちこっちでいろんな宋梅を見ました。
一時の姿で、ましてや写真からやれ本物だ品違いだ と性急に鑑定するの難しいことだと思います。
帰りに本屋さんに寄って『自然と野生ラン』4月号買ったら
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最近の表記は、九花/九華 半々ですが、『蘭華譜』、『東洋ラン・花物』、『中国ラン』は「一茎九花」を使っています。
どうも「九花」が正しく、「九華」は 難しい字使ったほうが賢そうに見える ってんで戦後の愛好家が間違って使い出したのではないでしょうか?!
字源からいくと華の元の文字は象形文字、花は後代に作られた文字で「艸(葉っぱや茎)が変化した」という介意文字、ぜんぜん別な文字だそうです。
大元は同じ意味だし、ま、どっちでもいいか??
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下の丸い銘鑑にも「金紗」の付く品種が多数載っていて(この本では砂ではなく紗)、
図説によると右のような斑のことだそうです。
手持ちのいくつかの本を調べてみると、
關繁著 『蘭の栽培法』
雅友庵 昭和6年 発行 では
<金紗:斑点のボケたる形ち、所謂、金紗模様に現れたるもの>とあり、また、
石井勇義著 『原色東洋蘭図譜』
誠文堂 昭和10年 発行 には
<明治△年に某所の某々氏宅で「○△」が白の金紗に変わったもの>といった記述が多数あります。カラー写真は小さすぎてよく判らないが、<充分な採光をなす時は金砂丈が黒こげとなり見苦しくなる>とか<斑が暗む性質がある>などの説明はウイルス斑ではないかとも思えます。
戦後の本では“金紗/錦紗”の文字も図説もほとんど見あたらないのはやっぱりウイルス斑だったのか、それとも“錦紗”がウイルス斑の代名詞になってしまったので嫌われてのことなのでしょうか...??
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小原栄次郎の『蘭華譜』 1937年(昭和12年)発行 が
最近、中国で復刻出版されたらしい。
↓↓↓
http://www.hmlan.com/
蘭蕙の老品種が熱心に収集、研究されるなかでの動きのようです。銘鑑の下1,2段あたりの品種はかなり混乱していますが、案外本場中国でしっかり同定・整理されていくのではないでしょうか!?
繁体字の台湾版はだいぶ以前に発行されていたがこちらは原著者の小原の名前も京華堂もどこにもないのは遺憾。
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《 春蘭譜 》 笹山三次・永野芳夫共著 昭和35年10月 加島書店発行
蘭華譜元版にはさまっていたオマケの写真と同じ写真が2枚載ってました。
蘭友(先輩)のKさんから教えて頂きました。ありがとうございました。
老十円?と思ったのは瑞梅だったようです。
しかし、ということは元版の元の持ち主は永野氏に近い方かひょっとしてご本人?? まあ、個人の詮索はいいんですけど、おもしろいです。
・
ちなみにこの本の著者の笹山三次と永野芳夫は同一人物。”笹山三次”は永野教授が蘭に関する文章を書くときのペンネームだそうですが、どういうワケかときどき共著という形で書いてられます。戦前、戦後の東洋蘭界のリーダー格のひとりだったようです。
左下はこの《春蘭譜》にはさまっていた領収書。
昭和38年;東海道新幹線が開通する1年前、私小学校5年?だった。当時の物価水準は製造業の賃金レベルで2000年を100とすると7.3、教員の初任給が14300円だったそうです。この方、なに買ったんだろ?
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《蘭華譜》の元版(S12年発行)にはさまっていた写真です。
S41年の復刻版はすでに持っていたのですが、帙がボロボロになったこの本が復刻版の半額ほどで出てたので即買い求めました。私は巻の1(1華)と巻の2(9華)しか見ないので長いこと気づかなかったのですが、帙を修理に出そうかと思って巻の3(寒蘭)を取り上げてはじめてこの写真を見つけました。
余胡蝶の写真の裏には〈昭和14年春開花〉と書いてあります。黒崎氏の《東洋ラン・花物》には〈昭和17年頃蘇州の余氏が秘蔵していたものが、某氏の手を経て日本に渡り、当時、海軍主計少尉の水野氏にはいり....〉と書かれてありますがもう少し早く渡来していたようです。また寰球荷鼎の裏には〈昭20.2.28写 圓辯デ丁度九華ノ蓋字ノ花ノ様デス〉とあります。この花は戦後周恩来首相から松村謙三氏に贈られた話が有名ですが戦前に一度渡来し、絶種したということでしょうか?あるいはこの写真を撮った人は中国在住の日本人だったのか?
こんな本が古本屋に出るのは持ち主が手放すわけはない、おそらく亡くなられて遺族が処分されたのであろうと想像します。
いったいどんな人が持っていたのか?その人の育てていた蘭は無事に誰か大事にしてくれる人か商売人に渡ったのか...?
古本は書き込みがあったり、こんな写真や今は存在しない蘭屋さんの領収書がはさまっていたりして、前の持ち主やその時代についてあれこれ思いを巡らすのもおもしろいです。
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プロの写真家、横山進一氏による写真集、
昭和62年、学習研究社発行
神田神保町の古本屋でこの本をみつけたときは思わず息をのみました。
中国春蘭一華;68種、九華;15種、台湾春蘭;7種、四川・雲南の蘭;27種、杭州寒蘭;31種、日本春蘭が花物、柄ものあわせて約130種ほぼ実物大で載っていて、文章は松村正直氏による序文と各分野別にその道の大家がそれぞれ10数行の解説、そして撮影者横山氏のあとがきのみ。それで充分、講釈はいらないと思いました。
中国の蘭書によると蘭を観賞するにあたって花の形と花色、葉姿、香り、それに韻(神韻)というものが大切だと書いてありましたが、まさにその蘭のもつ神韻まで写し撮っていると思います。
こんな風に作ってみたいものだと心ひそかに目標にしている写真集です。
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「日本の古本屋」を通じて注文していた『中華名物考』青木正兒著という本が届いた。先日のフジバカマの件を調べていたらこの本に蘭の呼び名の経緯が詳しく書かれていると知ったからだ。
この本の「香り草小記」という項によると
北宋の詩人、黄山谷(1045~1105)が『幽芳亭に書す』と題する文章に、
《近世の謂はゆる蘭すなはち『蘭花』を以て古の「楚辞」に詠ぜられたる『蘭』及び『蕙』と見なして其の優劣を論じ、而して二者の区別を説明して『其ノ華ヲ発スルニ至リテ、一幹ニ一華ニシテ香ノ余リ有ルモノハ蘭デアリ、一幹ニ五七華ニシテ香ノ足ラザルモノハ蕙デアル』と云った。これがそもそも間違いの広まる元である》
《その後、南宋に及んで福建を中心に蘭蕙の園芸栽培が盛んになり、文人画家たちが水墨画の題材として貴ぶに至り、遂に古の蘭の名を奪ってしまった。
そこでこの偽蘭の盛行に憤慨した南宋の朱熹は『楚辞辯證』(1199年)で
「大抵古の香草と云うものは、必ずその花も葉も皆香り、乾いても変わらないから、刈って佩(おびもの)とすることができる。もし今謂うところの蘭のようであったならば、花は香るが葉は香気が無く、香りは美しいが質が弱く萎びやすく、とても刈って帯びられるものではない。それが古人の指す所でないことは甚だ明らかである」と辯じ、
また南宋の陳傳良は『盗蘭説』を作り、元の方囘は『訂蘭説』を作って、皆其の偽を辯じて、誤を正そうとしたけれども大勢は如何ともしがたく、遂に明末の李時珍の『本草綱目』に至り、
・古代の蘭→『蘭草』『澤蘭』『山蘭』 とし
・近頃流行りの偽蘭→『蘭花』 として区別しようということになったそうです。
ちなみに我が国の小野蘭山の『本草綱目啓蒙』によると
蘭草:フジバカマ、山蘭:ヒヨドリバナ、澤蘭:サワヒヨドリバナにあたるそうです。
どれも花だけでなく葉、茎にも芳香があり、その香りは陰干しにするといっそう強くなり、昔の貴族は風呂に入れて身を清めたり、ドライフラワーにして衣服に付けて香水代わりにしたようです。
黄山谷が蘭蕙にしてしまった「偽蘭」がそれ以前なんと呼ばれていたかはこの本にも書かれていません。
名も無き草花だったんでしょうか?!
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