2009/06/27

“梅”,“楳”,“槑”

“梅”の代わりに“楳”の字を使った資料がありました。
   劉梅の線画
Liumei中国では最近こんなメモ書きみたいな古い資料がずいぶん発見されているようです。
スケッチは蚕蛾の棒心、大きな包衣などの特徴がよく表現されていてありがたい。
うちに「劉梅」の名札は一鉢あるのですがずいぶん小さな苗なので花を見られるのはうまくいって10年後 かな?

“楳”,“槑”、日本語では「ウメ」,「バイ」、中国語では「méi」
日中とも、発音も意味も3者同じです。

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2009/06/21

梅雨~

なのに雨あんまり降らない~ 
と書いたら夕べから降り出しました。いかにも梅雨らしい降り方です。
3000年に1度咲くといわれる優曇華の花が今年も咲いていました。
            梅と                    虞山梅
20090621meiyu20090621yushanmei
右上の「虞山梅」は我が家に来て8年ほどになりますがまだ花を見ていません。

梅といえば『蘭蕙小史』の老蜂巧の白黒写真の“呆”を二つ並べた漢字“槑”、なんと読むんだろうとずっと疑問に思っていたのですが最近やっと判りました。
Laofengqiaolanhuixiaoshi_2
康煕字典に載ってました。
“梅”の異体字でした。
“楳”は知ってたけどこの字は初めて知りました。
本の解説では「老蜂巧」はほとんど“猫耳棒”と書いてありますが“梅瓣”なんですね。
そういえば『蘭華譜』ほかいくつかの中国の古蘭譜の写真の棒心も“猫耳棒”ではなく抱えて咲いてます。


昨年金壇と今年宜興で見た「老蜂巧」もほとんど“猫耳棒”ではありませんでした。
それにしても呉恩元さんは本文解説には“老蜂巧”と書いているのに写真にはなぜ “蜂巧槑”と書いたのか?
康煕5年(1666年)の発見と大変古い品種なのでこの蘭と蘭を伝えてきた先人たちへの尊敬の想いもこめて康煕字典にしか載ってないような古い文字を使ったのではないか!?と思いました。  

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2009/05/21

网上での拾いもの

昼休み中国関係のネット上を散歩してたらおもしろい記事を二つ見つけました。

① 中国からエキサイトをチェックする方法
      在日中国人女性tubomimさんのBLOGより
少なくともこの2年ほど中国からEXCITE関係のBLOGがまったくアクセスできなかったが
GOOGLEから検索して入れば可能らしい。

② 慶華梅についての議論
      中国蘭花網のBBSより
昼休みに見つけたとき議論は2頁目まででしたが帰宅して再度覗いたら5頁目まで進んでいました。
発見者や栽培者の名前に“梅”や“仙”をくっつけただけの名前は同名異種もありえるかもしれないけれど、
「民国元年(1912年)春、紹興の車慶という人が華興旅館で手に入れ九峰閣にわたった・・・この銘花を見いだした人と場所の名にちなみ、さらに新しい時代の始まりを祝して名付けた」というこの慶華梅は本物はひとつでなければならないと思います。
Wuenyuandejiahuamei
慶華梅は《蘭蕙小史》癸亥集では無図ですが最近上海で未発表のガラス原板が見つかっています(左写真)
おそらく呉恩元/唐駝氏が続《蘭蕙小史》の刊行のために準備した原稿ではないでしょうか?!
この白黒写真を見ると現在ちまたで出回っている「慶華梅」とは明らかにちがう花です。

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2009/03/15

蔵書

これぜんぶちゃんと読んでたらそうとう博識になってるんだろうけど、、、
Zosho
買ってパラパラとめくったきりの多いです。
普段よく看るのはこのうちの数冊。
集めるのが趣味なのです。
まあ、老後の楽しみです。
数年前から蔵書リストも整理してないので、会場で人いないときにゆっくりやることにします。

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2009/03/06

滄浪亭(その5)

                2009江蘇省春蘭展見聞記 (2/27-28)

美術館のもう一つの部屋は蘭に関する書画や古書が展示してありました。
正直身震いしました。ここを見ただけでも来たかいがあったというものでした。
20090228suzhoulanhuazhan02320090228suzhoulanhuazhan024
小原榮次郎の『蘭華譜』や呉恩元の『蘭蕙小史』の元版
“大富貴”の生原稿は『小史』に収録されてるのとちょっと違う。文章はほぼ同じだけど、、不採用の原稿か!?左下の右端は唐駝先生のPOST.CARD
20090228suzhoulanhuazhan02520090228suzhoulanhuazhan026
『蘭蕙同心録』とその著者許羹梅のハンコや直筆の扇面。 『蘭言述略』は私も最近台湾での復刻版を入手したけど
『周斗山蘭譜』ははじめて聞きます。どんな内容なんだろう?
20090228suzhoulanhuazhan02720090228suzhoulanhuazhan028
『費夢仙蘭蕙譜』の彩色の精緻な原画9点も見ることができました。
この蘭譜は牟氏の新著『蘭蕙縦横』のP1039-1041に解説が載っています。
デジカメのなかった昔の蘭人は花が咲いたらこんなふうに筆でていねいにその姿を写し取ったんですね。
20090228suzhoulanhuazhan02920090228suzhoulanhuazhan030
投機目的のランバブルがはじけてこれから中国の中国蘭はいよいよおもしろくなっていく、楽しむ蘭になっていくな との思いをした蘭展でした。いい展示を見せてもらいました。来てよかった!と思いました。

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2009/02/01

牟氏の草稿作法

先日紹介した牟安祥氏の『蘭蕙縦横』を受け取ったとき、“目下第3冊目の本を執筆中で1,2年後の出版の予定”とのメールをいただきました。
その草稿だと思われる文章を「中国蘭花網」のBBS上に昨年末から次々と精力的に発表されています。

○ 古蘭譜に記録された春蘭(一花)老品種の選育時期一覧
○      〃      蕙花(九花)老品種の選育時期一覧

     ずいぶんたくさんの蘭蕙名品が先人たちに発見され選別命名されながら
     その多くが絶種してしまい、ごく一部が今に伝えられていることがわかります。
○ 山客と蘭客
     山客、蘭客とは江浙地方の山村で農林業の傍ら、山で蘭蕙を採取し売ったり
     栽培選別したり、仲買をしたりして生計を立てていた人たちのこと。
     蘭農ともいう。蘭蕙の歴史にそのほとんどは名前は残っていない。
○ 異名同品種 について思うこと
○ 九花「老蜂巧」について
○ 「慶華梅」と「劉梅」について
○ 「秋字」の謎--緑茎か赤茎か?はたまた現存するのか?

     「秋字」は『蘭蕙同心録』に緑蕙としてはじめて登場、『蘭蕙小史』には
     「失伝名種」として白黒の絵が載っている。ところが最近花柄が赤く彩色
     された水墨画が見つかり、『総合種苗ガイド・古典園芸植物編』の小原
     秀治郎の文中に日本にあるとの記載がある??
     が、80年代以後里帰りした多くの品種のなかに「秋字」はない???
などなど・・・
氏の著作はこんなふうにまずネット上に、先人たちが書き残した文献記載の比較検証や自身の見聞からの研究成果を発表、それに対して全国から多くの蘭人の見解や異論や新資料が寄せられ練られて、最後本となっています。
「秋字」については私もBBS上では初めてだけど議論に参加してみました。

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2009/01/12

蘭蕙縦横

Lanhuizongheng2牟安祥氏の新著『蘭蕙縦横』が届いた。
以前にちょっと紹介しましたが、『蘭蕙同心録』、『蘭言述略』、『蘭蕙小史』の時代から伝わる中国蘭一花,九花の老品種についてその来歴、特徴などを研究、解説した本です。
前回の『〈蘭蕙小史〉名品賞析』とだぶる部分もありますがその後わかった新たな事実や資料をもとに相当加筆訂正されています。


○ 自分の分は著者サイン入りで昨年11月に受け取っていたのですが、親しい友人や先輩に読んでもらいたく六冊だけ追加注文したものでした。
この本を一番先に届けたかった、富山の先輩が昨年末亡くなったことは非常に残念なことでした。
富山の九華展のときはここ数年いつも泊めていただき、北陸に残っている珍しい蘭蕙を捜し出して分けて頂いたり、いろんな人を紹介していただいたり、大変お世話になった方でした。

○ 私は商売人ではないので不特定多数の人への販売等はやりませんがほしい方はすずき園芸に注文すれば取り寄せてくれるはずです。見本も置いてあるはずです。
中国蘭の古い品種のファンの方はぜひとも読んでほしい書です。

○ 簡体字は慣れない方はわかりにくいかもしれませんが半年ほど「NHKラジオ中国語講座」などで初級中国語を学習すれば、蘭キチの方なら80%は読めます。
読めば目鱗なこと多いはずです。老品種が100倍楽しめます。
中国語バリバリの人でも蘭に興味なかったらチンプンカンプンでしょうね。

○ 私の提供した日本の資料も随所に採用されています。
『中国蘭花図鑑』の記事も引用されています。
ただ、どれが本物かいろんな説があるような品種について、中国側の古い資料と照合、考察するなかで日本で一般に言われていることと違う方向にいっていることも多いようです。

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2008/07/21

かい~~

3連休の二日間、連日今夏最高気温を更新するなか、植木の散髪してました。
チャドクガにやられてしまった。毎度のことなのだけど...
長袖来てても腕も背中も足もかゆい~~

『蘭蕙縦横』
Lanhuizongheng
牟安祥先生の第2弾

  大連出版社
  2008年3月 刊
  498元

1000頁、4kgを越える大著

まもなくお江戸の某S園芸に入荷するはず です。
わたくし提供の資料や写真もいくつか使われてるはず..

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2008/04/25

2008・江南2000キロの旅(その6)

       サインもらっちゃった^^

 莫磊先生は『蘭蕙趣聞』や『蘭蕙同心録・诠释』の著者。 
『趣聞』を読むにつれ、一度会ってみたいと思っていた方でした。今回休みの取れた土日をくっつけた9日間のうち9華展は6,7日と12,13日、この間がチャンス。多分浙江省か江蘇省の方だと思われたので湖州の趙先生に問い合わせてみると「知ってるよ、好朋友だ。紹介してあげようか!?」ということで今回の訪問となったわけです。 
 衢州バスターミナルから電話すると、すぐに迎えに来てくださり、ホテルに荷物を放り込んで、先生のご自宅へ。 若い蘭友もひとり呼んでおられて、奥様の手料理をご馳走になりながら4時間ほどおじゃまし、いろいろお話を伺いました。
『趣聞』の故事集を読むと、蘭を愛する者(というか人は)こうあって欲しいという著者の思いがにじみ出ていて、「大地の子」の陸一心の養父みたいな教育者を想像していましたが、はたして先生は今年67歳、浙江師範大学の教授を既に退官されたけど、今も週すこし授業は持っているとのこと。宋梅と同じ紹興が故郷だそうです。
持ってきた日中友好会館での奥地蘭展の写真をお見せすると蘭の上に飾ってある書をすらすらと詠んでみせられ、若き周恩来氏の詩「雨中嵐山」の「人間的万象真理、愈求愈模糊、模糊中偶然見着一点光明、真愈覚嬌妍」の一節に目を細めて微笑んでおられました。しかしちっとも偉ぶったところを感じない方でした。
新しく出された著書2冊をいただき、持っていた2冊にも記念にサインしてもらいました。
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2008/04/24

2008・江南2000キロの旅(その5)

      臨海→衢州(4/7)

4月7日朝8;50臨海を後に、バスで遙か西方、衢州へと向かいました。
衢州への道はほとんど山あいの一般道、けっこう自然林が残っていて、新緑の山には藤の花やコデマリらしき白い花、ピンクや紫のツツジが咲き誇っています。ときどき道路と平行して流れる谷川の水はきれいで、道の脇の岩肌に水しぶきをほとばせ落ちる小さな滝を見ると、昔宮崎県北の祝子川を遡って大崩山に行ったときの道中を思い出します。山道が開け、人家や畑が広がるとやっぱり中国で、山裾には点在する亀の甲型のお墓には多分清明節のお参りのあとであろう飾りものが残ってたりします。
永康というところを過ぎると高速道にのり、さらに金華、蘭渓、龍遊と過ぎて5時間半で目的地衢州に到着です。

衢州に来たのは実は莫磊という方に会うためでした。

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2008/03/15

そうばい

080315songmei久々に中国語教室に行ったら宋梅が咲いていました。
えっ、ちがうみたい? って
いえ、まちがいなく宋梅です。
去年は普通に咲いてましたから..

今年はあっちこっちでいろんな宋梅を見ました。 
一時の姿で、ましてや写真からやれ本物だ品違いだ と性急に鑑定するの難しいことだと思います。

帰りに本屋さんに寄って『自然と野生ラン』4月号買ったら

続きを読む "そうばい"

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2008/02/03

中国の蘭書

中国のネットオークションにおもしろい古本が出ている。。

  ① 民国版《秘本兰蕙谱》 兰蕙研究会编,世界书局民国11年初版
  ② 蘭花(姚毓璆、诸友仁)  上海科技出版社1959年初版 
  ③ 《兰谱奥法》(民国版) 商务印书馆民国25年初版 
  ④ 种蘭法(夏诒彬著) 商务印书馆民国19年(1930年)初版
  ⑤ 《兰花》(沈渊如、沈荫椿) 1984年10月中国建筑工业出版社
                          
②の蘭花(姚毓璆、诸友仁)は1959年初版というから文革が始まる直前の出版、
  商品図2には9華「端梅」の写真も載っている。
①の民国版《秘本兰蕙谱》は線描の図がおもしろい。

清朝末期~民国初期の中国の蘭譜というと日本には『蘭蕙同心録』と『蘭蕙小史』しか伝わってないけど、向こうにはこんな古書がけっこう残ってるんですね。
コピーでも手に入れて見てみたいなあ。。    

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2007/08/13

寰球荷鼎(かんきゅうかてい)

19990328huanqiuheding★  ding3 かなえ,てい 
  ① 古代中国の青銅製三本脚のナベ様の祭器
  ② 鼎のように三本足で立つ.三方に並び立つ
    転じて3本の指に数える、トップクラス の意
  ③ まさに,すばらしい,1番良い の意

   劉備元徳に三顧の礼を尽くされ軍師に迎えら
   れた諸葛亮孔明は呉の孫権、魏の曹操を押     ↑99年宋梅会蘭展にて
   さえて一気に全土統一は今は無理と読んで
   天下三分の計を奏上、蜀漢を興し魏・呉・蜀の三国鼎立時代となる。
                   (前3世紀頃のお話)

★ 寰球 huánqiú : 地球、世界 
    环球(環球)も発音、意味とも同じ
    环球小姐 Huánqiú Xiaojie はミス・ユニバース のこと

◎ 寰球荷鼎 は“世界でトップクラスの荷花弁咲きの蘭花” という意味、
           なんとも大仰な名前だこと。

続きを読む "寰球荷鼎(かんきゅうかてい)"

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2007/08/11

蘭蕙趣聞

通っている中国語教室では「会話」の講座が終わって、今、この本をテキストにしてもらってます。
     『蘭蕙趣聞』
        莫磊 陳徳初 編著  
        2001年 香港百川文化出版社 発行
        38元
HSK、中検受験や日常会話にはあんまり役に立ちそうにないけど、私が中国語を学習し始めたのはもともと、中国で次々と発行される蘭書を読みたいのが第一の目的。
辞書引きながらの独学ではどうしても判らない江南方言や背景となっている習俗・文化をネイティブ老師に教えてもらえるし、蘭については素人の老師に判らない業界用語についてはこっちから説明する ということで楽しみながら「勉強」することができます。
しかし、大きい文字に打ち直して(本は字が小さすぎて読みにくい)、発音と意味を調べて音読、予習はけっこう大変です。

CuigaidegushiLanhuiquwen

『同心録』や『小史』が書かれた清朝末~民国時代の蘭栽培が盛んだった頃の江南地方の蘭にまつわるお話が30話ほど。競って名蘭を求める大老板蘭痴蘭迷たち、一攫千金を夢見て深山幽谷に分け入る蘭農たち・・・
往時の蘭に関わる人達の様子が、いきいきと描かれています。登場人物はほとんど実在した人たちですけど、あくまで故事、必ずしも史実ではなくて、民間に伝わる話を元に面白く再構成した「三国志演義」みたいなもののようです。
このBLOGを始めた時に紹介した「宋梅の故事」「老十円の故事」もこの本に載っています。

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2007/02/26

ただいま

お江戸から戻りました。
3日間、あっちこっちでいろんな方と蘭談義楽しかったです。
しかしちと疲れた。帰りは新幹線でした。

今回の最大のGET品
① 亡き野坂さん(東京宋梅会会長)の翻訳された『蘭蕙小史名品賞析』のフロッピー
Flp
昨年夏にメール頂いたときは1華の部の七割がたできたといわれていたけど全部終えていた。
コピーしてお返しします。
九華の部、引き継がないといけないかな!?



② 『蘭蕙同心録』の現代中国語訳・注
Lankeidosinrokuネットで発刊されたことは知っていてなんとか入手したいと思っていたら、神保町の内山書店で見つけました。

 杨涤清·莫 磊 诠释
 福建科学技術出版社
 2006年1月刊
 18元

今日はもう寝ます

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2006/10/07

台湾野生蘭賞蘭大図鑑

昨天一部蘭書收到了。
是一位台灣人朋友送給我的。
太謝謝!!

Taiwanyaseiean_1: 『台灣野生蘭賞蘭大圖鑑
:  上中下 3巻
:  林維明 著
:  天下文化書房
:  2006年8月  出版
:
:
:
花の写真もきれいだけど、自生環境が撮しこんであり説明も詳しいのが良い。
卑亜南(ピアナン)は今は“埤雅南”と書くんですね。800~2000mの高度に自生するそうです。       

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2006/07/17

翆桃の謎

Suitou 「秦郷梅」はどうやら翆桃とはまったく別物のようで、翆桃のニセ物扱いされるのは本人(草)も迷惑な話だと思います。いつ頃どんなルートで日本にやって来て誰が名付けたのか知りたい気はします。
 じゃあ正宗の翆桃はというとこれもよく判らないことが多い。中国の文献上に登場するもっとも古いところでは私が知ってるかぎりでは『蘭蕙同心録』ですがこの本の挿絵は主副弁は菱形だけど三弁一鼻頭どころか棒心に兜もない。『蘭華譜』や『東洋ラン・花物』『中国ラン』などの由来の説明<明治の始め頃、浦江山中にて発見、その後上海の林天頤氏に培養された云々>は『同心録』からの引用のようです。この本の宋梅、汪字、9華などの他の花を見る限り、線画の版画刷りながら写真以上に花の特長が実によく描かれていて、決していいかげんな画ではないはずだけど翆桃がこんな咲き方しているのは見たことも聞いたこともありません。
 牟氏はどう言ってるかなと『名品賞析』を見たら載ってない。 『蘭蕙小史』には翆桃は登場してなかったのでした。
Google China で調べたらここ分清新老“翆桃”にありました。
牟氏によると『蘭蕙同心録』の翆桃(別名“品蓮”)は絶種しており、その後これとは別な翆桃(別名“安昌梅”)が紹興安昌から出ていてこれが現存の翆桃であり、日本の『蘭華譜』その他の記述は後出の翆桃(別名“安昌梅”)に絶種した『蘭蕙同心録』の翆桃(別名“品蓮”)の出自の説明が誤って引用されている との見解です。
赤茎と緑茎については牟氏はこの時点では<栽培条件で変わるものか芽変わりしたものか、はたまたよく似た別物なのかよく判らない>と記していますが私の棚にあるのは葉姿、花を子細に見ると花茎が赤いか青いかだけでなくて別物のだと思います。赤茎の方はめったに花を見せてくれなくて並べて見比べたことはないのですが...

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2006/05/28

中国版 『蘭華譜』

Lanhuapu_1小原栄次郎の『蘭華譜』 1937年(昭和12年)発行 が
最近、中国で復刻出版されたらしい。
      ↓↓↓
   http://www.hmlan.com/
蘭蕙の老品種が熱心に収集、研究されるなかでの動きのようです。銘鑑の下1,2段あたりの品種はかなり混乱していますが、案外本場中国でしっかり同定・整理されていくのではないでしょうか!?
繁体字の台湾版はだいぶ以前に発行されていたがこちらは原著者の小原の名前も京華堂もどこにもないのは遺憾。

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2006/03/28

越中みやげ(その2)

中華之芸・蘭 / ORCHID ART OF CHINA  
   簡旭東 著
   浙江大学出版社
   2004年9月 発行
   436元 ← (ちょっと高い!)

orchid_art_of_china_1orchid_art_of_china_2


1華、9華、春剣、葉芸品の新花ばかりで伝統銘品がほとんど載ってないし、写真の質もあんまり良くないけど、中文と英文の説明が並記してあるのが面白い。
  収根 → narrow down into the pedicel
  緊辺 → film rims
  蚕蛾棒 → moth-like petals  と言った具合
なまじっか漢字で書いてあると読めるためにかえって深く意味を考えずに読み飛ばしてしまうところがわかりやすく説明されています。
紹介してくれた方は元英語の先生でこの本からテクニカルターム集を作って、「蘭蕙小史」や「蘭蕙宝鑑」の英訳を試みてられました。別に欧米人に読ませるためとかいうことではなく自分自身が理解して楽しむためにとのことです。   

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2006/03/05

衝撃の蘭書

といってもだいぶ古い10数年前のはなし、
○ その1 『雲南蘭花Ⅰ
       蒋 剣 主編
       1993年12月
       雲南民族出版社 発行     198元
 当時、大雪素や銀杆素などの銘品をいつかは持ちたいと思いながら、近くの山野草店に入ってくる山採り未選別の朶々香や蓮瓣蘭の中から色や形の好いのを選って楽しんでいた私たちには、現地でこんなすごい円辨や素心、蝶咲きが出ているのにショックを受けました。1970年代末ころから毎年現地を訪れ向こうの蘭人たちと交流を重ねていた今はなき師匠や先輩たちもこれにはタマげたと言ってました。
師匠の話を聞きながら原生地の写真に思いを馳せていました。
     表紙は姜氏荷            雪の残る高黎貢山の自生地              
yunnanlanhua1yunnanlanhua2

○ その2 『蓮瓣蘭 名品鑑賞
       胡 瑩 ・ 張徳重  編
       1993年7月
       四川美術出版社 発行       48.80元
 蓮瓣蘭の特長、生育環境や選種栽培の歴史、鑑賞の仕方などが60頁にわたって書かれていて面白い。大雪素がかすんでしまうような超荷花瓣の色花、素心花や兜のある花がてんこ盛りでびっくりしました。最近よく見かけるようになった剣川県産の派手な蝶咲き花も無名で載っています。
  表紙のこれはいらない         こんなの欲しい!!(けど高いネ!)
lianbanlan1lianbanlan2

当時は関西では寒蘭や無香春蘭が全盛で中国蘭、奥地モノに興味持つ人少なかったし、中国でも今ほど選別されてなかったのでお金なくてもけっこう楽しめたけど最近貧乏人には新しい物集めにくくなってきました。


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2006/01/27

龍呑舌と龍のこと

ryudonzetu 九華の程梅や極品のように船底型に受けた形の舌を龍呑舌と言いますがこれはわかりやすい。龍の口の下あごに見たてたものでいかにも中国らしい呼び方。

     雲竜図
unryuzu 中国の伝説上の生物である龍は、その目は鬼の目で、耳は牛の耳、顔はらくだ、角が鹿の角、首の辺りは蛇のウロコ、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ているそうです。ノドの下に一尺四方の逆さの鱗があって触るとすごく怒ってこわいらしい。先祖は滝を登った鯉だとも、千年生きた蛇だとも云われていますが、最近古い遺跡から見つかる文物の図柄からどうやらワニ(揚子江ワニ)という説が有力なようです。

見られてゲキリンに触れる前に1行サクジョ!

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2006/01/18

劉海戯蟾、銭の伝説(その1)

前回紹介した劉海児の伝説のひとつはだいたい以下のようです。
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liuhaixichan むかしむかし、黄山の麓に劉という年老いた百姓が住んでいて、夫婦には劉海と言う名の息子がおった。
賈山南海の龍王には巧姑(チャオクー)という1人娘がおって、水底の竜宮の箱入り娘だった。
一度、竜王は北海の竜宮の宴に巧姑を連れて出席したのだが、彼女は途中の美しい景色の印象が忘れられなかった。おとっつあん竜王が出かけたのを幸い、彼女は1匹の金蟾(金色のヒキガエル)に姿を変えると、桃花渓の白竜潭に跳び出て、ハスの葉の上に乗って周りの景色を眺めていた。
その時、1匹の恐ろしい大蛇が彼女を襲いかかったが、たまたま桃花峰の麓で柴を刈っていた劉海が彼女を救った。金蟾は気がついて劉海が彼女を大蛇の口の中から救け出してくれたことを知り、口中から1粒の竜珠をハスの葉の上に吐き出して劉海にあげると、名残惜しげに水中の竜宮に帰って行った。
その後、巧姑は劉海を深く好きになってしまった。
ある日、彼女は劉海を想い、またこっそり竜宮を抜け出すと、金蟾に化身してハスの葉に登って劉海を待った。
おりよくその日、劉海は白竜潭に来て、牛を放牧させながら屋根を葺くための柴を刈っていた。劉海は柴刈りに疲れて、淵辺に来て水を飲んでいると、そこに紐を通した金銭があるのを見つけた。
あたりを見渡したが誰もいないし、何回か叫んでみるが返事する人もいない、お金を置いたまま家に帰ろうとすると、なんとその貫銭はチンチン鳴り始めた。実は貫銭の紐の端を金蟾が持っていて、劉海が行こうとすると、彼女が水中で紐を引いて鳴らせていたのだ。
劉海は不思議に思い、なんでかってに貫銭が鳴るのか注意深く見た。
と、このあいだ金蟾を食べ損ねたあの大蛇が背後から劉海に襲いかかって来た。
竜女は巧みに大蛇を誘導し、劉海にカマでその凶悪な大蛇をまっ二つに切らせた。
最後、2人はめでたく夫婦になったとさ。
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最近、よそのブログでばっかり遊んでいて、まともな日本語になっていません。誤訳など気がつきましたらご指摘下さい。右上の画はだいぶ今風だと思います。
原文はここ↓にあります。
    歴史風雲網

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2006/01/15

劉海舌と劉海児のこと

ryukaizetu 宋梅や賀神梅のちょっとだけ前に垂れた舌のことを劉海舌といいます。
<中国の伝説の仙童”刘海儿”の髪型に似ているから>と解説書にはあります。この劉海児って何?とずっと疑問に思っていたのですが、最近やっと少し分かりました。

・  ↓劉海戯蟾、銭 図                      ↑宋梅の劉海舌
liuhair 雅虎百度で「刘海儿(劉海児の簡体字)」を検索すると下の写真のようなベッピンさんがワンサカ出てきます。これも<中国の伝説の仙童の髪型>から来ていて現代中国では女性のファッション、髪型としてごく一般的な用語のようです。「劉海」を翻訳ソフトにかけると「切り下げ髪」となるのはこのことのようでずいぶんバリエーションがあります。
 肝心の元祖劉海さんのことがよく分からなかったのですが中国語の老師に教えてもらいました。
紐に通した銭を持った童子がヒキガエルと遊んでいる伝統的な民間年画は「劉海戯蟾、銭」「劉海洒銭」図といって恭喜発財、家運隆盛を象徴するおめでたい図柄。この「劉海戯蟾、銭」図の物語の由来となると地方によりいくつかの説があるようです。
     ↓女性の髪型 劉海カットのいろいろ
liuhai2liuhai1liuhai3


これからちょっと女子駅伝の応援に行ってきます。


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2006/01/08

如意舌の如意のこと

nanyoubai 如意舌と称される花の舌を見ると肉厚でどっちかというと先は丸くなく尖っていて受け気味、ただし九華の南陽梅や大一品の舌はけっこう伸びて垂れていて元気がよいと先端が後ろに巻き気味になることもあります。
緑英は本によって如意舌に入れたり円舌に入ったりしています。うちで以前咲いた写真を見ると円舌に見えるし、円舌と称される品種で受けて咲いているのもたくさんあってようわからん...。

モノの本には仏具の如意、あるいは中国の吉祥文様の如意の形に由来するとあります。そこで、仏具や吉祥文様の如意とはいったい何モノ?と調べたら下の写真の如きモノでした。

nyoi1nyoi4linginsi

・      如意            如意の頭         杭州霊隠寺の仏さん
仏具の如意はインドから伝わった阿那津(梵語)というものなのですが、実はボンさんが説教するときカンニング用メモとして使ったり、孫の手として使っていたそうです。
背中の手の届かないかゆいところを思いのままに掻くことができることから意の如く>如意と呼ばれるようになった。別名爪杖(そうじょう)とも言うそうです。
確かに杭州の霊隠寺の仏さんも五百羅漢の何人かもこの如意持ってました。

pinganruyiruyitou 思いのままにから縁起の良い吉祥文様や置物として使われるようになり、このおめでたい如意の形に似ていることから蘭花の舌の呼び名にも使われるようになったみたいです。
 左の花瓶に如意がさしてある図はが平安のと、花瓶に描かれている(ウズラ)が平安のと発音が同じなので平安如意と言ってさらにおめでたいものだそうです。
 『中国祥瑞象征図説』人民美術出版社 より
     
 孫悟空が持っている如意棒は蘭花の如意舌とは無関係。悟空の如意棒は伸びたり縮んだり思いのままに操れる。歳がいったり精神的な理由でままならぬようになることを不如意と仏教用語では言うとか..

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蘭花の用語のこと

 中国の江浙地方を中心に永い伝統を持っている中国春蘭の一華、九華はその葉姿や花容について主副弁の形棒心舌の形など昔から実に細かく識別分類されています。例えば宋梅の花は主副3辨は梅弁で緊辺、棒心は軟蚕蛾兜で舌は劉海舌であるとか、龍字は水仙弁で観音兜、大鋪舌であるといった辞書ひいても判らない独特の呼び方があります。
いろんな蘭書の解説を読んで多少は分かっているつもりですが、実際に開花した花を見ると、株により、またその年によってけっこう違った形に咲くことがあって、ちゃんと理解しようとすると悩むところです。いったい典型的な如意舌とは?劉海舌とは?蚕蛾棒心とはどんなかっこうをいうのか?そもそも例えば如意とは何モノなのか?如意のどこのどういう様子を蘭花の唇辨の形に例えているのか?
調べていくと生活に根っこを下ろした中国文化の一端が見えてきて、日本の正月飾りやおせち料理に込められたゲン担ぎにも似ていてなかなか興味深いモノがあります。
魚の鯛が日本人にとっては他のマグロや鯖とは違った意味がある、そんなところまで用語の意味を理解できたら中国蘭はもうちょっと面白くなるような気がしているのです。
そこら辺を今年はちょっと深入りして勉強してみたいと思っています。

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2005/12/15

Chinese Cymbidium(その2)

cymbidium_hookerianum 『中国野生蘭花』
    望天星 曲維波 編集
    1992 海峰出版社 発行

←こんな虎頭蘭や碧玉、黄蝉蘭の超大株が雲南の古い民家の屋根や樹上に自生している写真がたくさん載っていて、春蘭や寒蘭などシンビジウム属の蘭が元々は着生蘭だったということがよく分かります。
洋蘭と東洋蘭が原生地ではなく選別鑑賞する人間による区分だということも。

この本は香港での出版で繁体字ですが簡体字のも見たことがあります。

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Chinese Cymbidium

chinese_cymbidium  『中国蘭花』 第2版
    呉応祥 編著
    中国林業出版社
    1993/5 発行

中国産のシンビジウム属の蘭科植物について学術的な見地からまとめられた書です。
検索表があり、本文中には変種(亜種)も含めた生育地、別称、特徴が詳説されています。原変種としての選別銘品や栽培鑑賞の歴史、詩詞、古書についての記事も面白い。戦後、特に90年前後盛んに渡来したいわゆる奥地モノについての日本の解説書、雑誌の特集記事はこの呉氏や潘光華氏の研究をベースにしたモノが多いようです。
「杭州」寒蘭はこの本には触れられていませんが別種にしていいくらい普通?の寒蘭とは違うと思うので最近の研究ではどうなってるのか興味あるところです。
最近、ある雑誌に豆弁と朶々香の区別が難しい云々と書かれていて奇異に思いましたが、考えてみると何十万、何百万株の中から選別された園芸の世界の名品は元々の種の特徴からずいぶんかけ離れた姿かっこうをしているモノが多い。たまにはごくごく普通の駄?花をじっくり観察してみるのも面白いんではないでしょうか?!
  

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2005/10/02

板橋迷!?

youpiao 私のハンドルネーム”中国蘭迷”の”迷(mi2)”は中国語でマニア、キチガイの意味、英語のmaniaの音訳です。カタカナのない中国語では外来語も漢字で表記しますが意訳としてもお見事、傑作のひとつだと思います。

ネットオークションでこんなの入手しました。
鄭板橋書画の切手;40枚/シート×6種類、
競り合う人誰もいませんでした。(しかし1枚ずつでよかったのに..)
ここまで来ると充分”板橋迷”でしょうか!?
真筆は無理な話ですけど《難得糊塗》の拓本は持ってます。蘭花堂で「蘭の画ない?」て尋ねたら「画はないけどこれならある」って出してくれたモノでした。額作っても飾るとこないんで折りたたんだまま引き出しの中に入れてます。
「聡明難、糊塗難、由聡明而轉入糊塗更難。放一着、退一歩、當下心安、非圖後来福報也」 ちゃんと意味が分かってるわけではないですけど何となく好きです。

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2005/08/15

蘭蕙小史新版

lanhuixiaoshixinban というのも出ていてこれは
広州の朱和興氏編著で2003年3月発行、150元
第1部は簡体字による原文(黒字)と現代中国語訳(青字)が交互にあって、訳文が原文の1.5~2倍の文字数になっている。
第2部は著者による新花の紹介や栽培管理法、鑑別、鑑賞法などがかかれている。
写真、装丁は正直あまり良くはないが、この本と、先の復刻版の注訳や牟さんの名品賞析、水野版を比較しながらじっくり読むと面白くてけっこう楽しめる。

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未完の大著

lanhuixiaoshi《蘭蕙小史・癸亥集》の復刻版が2004年4月に発行されている。
原著を忠実に再現した上中下3巻+注訳書からなっていて250元。注訳書は李学林氏によるもので原文を簡体字になおし、段落ごとに逐一語句を解説、現代中国語にない漢字にはピンイン(発音記号)が振られてある。
原著は
   民国十二年(1924年)発行
   編著者:杭州の呉恩元、校訂:武進の唐駝
蘭(一華)、蕙(九華)を花型と旧伝(清代以後の残存する古い名品)、新伝(発刊当時発見の新種)、失伝名種(絶種してしまったもの)に分類してその来歴、特徴を解説しており、《蘭蕙同心録》や《第一香筆記》など先達する古書の記述を紹介している。中国蘭初の写真集であり中国蘭マニアにとってはバイブルともいうべき書。その後日本で発行された《蘭華譜》はじめ多くの蘭書の下敷きになっている。
古い品種を追い求めていくとこの書の不鮮明な白黒写真、説明文と格闘することになって、ジャングリラに迷い込んでますます訳がわからなくなってしまう。
当時山から下りたばかりで本咲きしてない写真であったり、完全に整理し切れてない品種もいくつかあるように思われる。
巻頭にひときわ大きい文字で「みなさんのお手持ちの蘭蕙を写真に撮り、来歴といっしょにわたしに送ってほしい」と訴えるこの癸亥集は試刊号であり、著者はこの本をきっかけとして混乱していた新旧の蘭をなんとか整理し、後代に伝えたかった。
附巻の当時の蘭泥棒やペテン師の話、失敗談は今も似ていておもしろおかしいが、ここや巻頭の呼びかけや自序、あとがきを読むと編著者呉恩元の蘭への思い、蘭キチたちへの愛情がヒシヒシと伝わって来る。けっして単なる”寄せ集め”ではない。
残念ながら癸亥集以後が発刊された形跡はなくて呉恩元や唐駝氏、九峯閣がどうなったのかわからないが、その後の中日の蘭人への影響は計り知れないと思う。
水野日本語版はすずき園芸で取り扱っていますし、魁童さん の典雅な文章;訓詁注釈《「蘭恵小史」哀惜》も面白いので興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

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2005/08/08

馮如梅老師のこと

zhizusumei  「軍旗」→「和平」改名を提案した馮如梅氏のことが
中国蘭花網蘭友社区:蘭花詞典(人物編)に出てました。現役の中国蘭界の重鎮の一人のようです。
浙江湖州の人で、1922年生まれというから日本との戦争(1930~1945)や文革の時代をちょうど少年~青・成年期に生き抜いてきたことになります。
この方の命名した一華に「知足素梅」というのがあります。《春蘭譜》《蘭蕙宝鑑》などいろんな写真集に載っていて、いい花だけど変わった名前だなと思ってたんですが、『知足常楽,無求乃安』ということばから来ているようで「足るを知れば常に楽しい、求めること無ければ乃ち安らかである」と読めばいいんでしょうか?!
「知足素梅」欲しい!!ボンジンは『知足,無求』なんて境地にはなかなかなれません。まだまだ煩悩多き今日この頃デス。
2003年に発行されたという《乃安居芸蘭筆譚》という本もいつか入手してぜひ読んでみたいと思います。

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2005/07/25

続・古代の蘭

 「日本の古本屋」を通じて注文していた『中華名物考』青木正兒著という本が届いた。先日のフジバカマの件を調べていたらこの本に蘭の呼び名の経緯が詳しく書かれていると知ったからだ。

この本の「香り草小記」という項によると
北宋の詩人、黄山谷(1045~1105)が『幽芳亭に書す』と題する文章に、
《近世の謂はゆる蘭すなはち『蘭花』を以て古の「楚辞」に詠ぜられたる『蘭』及び『蕙』と見なして其の優劣を論じ、而して二者の区別を説明して『其ノ華ヲ発スルニ至リテ、一幹ニ一華ニシテ香ノ余リ有ルモノハ蘭デアリ、一幹ニ五七華ニシテ香ノ足ラザルモノハ蕙デアル』と云った。これがそもそも間違いの広まる元である》
《その後、南宋に及んで福建を中心に蘭蕙の園芸栽培が盛んになり、文人画家たちが水墨画の題材として貴ぶに至り、遂に古の蘭の名を奪ってしまった。
そこでこの偽蘭の盛行に憤慨した南宋の朱熹は『楚辞辯證』(1199年)で
「大抵古の香草と云うものは、必ずその花も葉も皆香り、乾いても変わらないから、刈って佩(おびもの)とすることができる。もし今謂うところの蘭のようであったならば、花は香るが葉は香気が無く、香りは美しいが質が弱く萎びやすく、とても刈って帯びられるものではない。それが古人の指す所でないことは甚だ明らかである」と辯じ、
また南宋の陳傳良は『盗蘭説』を作り、元の方囘は『訂蘭説』を作って、皆其の偽を辯じて、誤を正そうとしたけれども大勢は如何ともしがたく、遂に明末の李時珍の『本草綱目』に至り、
・古代の蘭→『蘭草』『澤蘭』『山蘭』 とし
・近頃流行りの偽蘭→『蘭花』  として区別しようということになったそうです。

ちなみに我が国の小野蘭山の『本草綱目啓蒙』によると
蘭草:フジバカマ、山蘭:ヒヨドリバナ、澤蘭:サワヒヨドリバナにあたるそうです。
どれも花だけでなく葉、茎にも芳香があり、その香りは陰干しにするといっそう強くなり、昔の貴族は風呂に入れて身を清めたり、ドライフラワーにして衣服に付けて香水代わりにしたようです。

黄山谷が蘭蕙にしてしまった「偽蘭」がそれ以前なんと呼ばれていたかはこの本にも書かれていません。
名も無き草花だったんでしょうか?!

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2005/07/16

火焼蘭は

一茎九華(Cymbidium faberi Rolfe)の雲南地方の俗称だそうです。
『滇蘭初鑑』という本にその由来が書いてあるんですけど訳に自信ないんでそのまま出します。〈火燎過的土地〉て山火事か焼き畑やったあとのこと?
〈疏松〉は松がぱらぱらと生えてるとこか?と思って辞書引いたら「柔らかいぼくぼくした土」のことだそうです。

9華は浙江、湖北、河南、四川、貴州、雲南、台湾...と分布が広く、
呼び方もいろいろあるようです。
一般的には蕙蘭(huilan)、江浙地方では夏蘭、夏蕙とも呼ばれていて九華という言い方はあまり聞かない。
日本や台湾で”蕙蘭”というと報歳蘭や建蘭の柄もののことですが
大陸ではちがうみたいです。
生育してる環境は海抜1000m以上とか、どこも春蘭よりちょっと高めのようで、
「葉焼けするくらいガンガン日にあてろ」と教わりましたけど、けっこう涼しく作らないといけないのかな!?

この数年、昔の銘品のどれともちがうタイプのすごいのがどんどん山から下りてきていて、値段のほうもものすごいデスね。宝くじ当たったら買いに行こう!
まあ、30年ほど待ってたら増えて安くなってそのうち、うちにも来るでしょう。
 『滇蘭初鑑』
  楊雲著 雲南科学出版社 1992年      2003年刊        2004年刊
huoshaolanhuilanxialan

一茎九華, 中国の蘭書 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/08

古代の蘭

lan 中国書画の網界をさ迷っていたらこんなんありました。
蘭や蕙と言う文字が今の蘭(Orchid科Cymbidium属の植物)を指すようになったのは宋代以後のことだそうです。
その昔、孔子(BC551~BC479)が同病相憐れんで途次、琴をかき鳴らしたのも、屈原(BC343~BC278頃)が九エン百畝に植えたのも、今、私らがはまってしまっている蘭ではない。王羲之の蘭亭序は永和9年(353年)、そのまた昔に越王勾践がこの付近の水田に蘭を植えたのが蘭亭の名の由来とのこと、これもフジバカマ畑だったようです。蘭キチとしては悠久の歴史、古代の聖人の逸話と結びつけたいとこですが残念ながらそういうことのようです。

 じゃあ、唐代以前、山に蘭はやっぱりあったはずでいったい何て呼ばれていたんでしょうか?貴族、政治家が知らなかっただけで山村の読み書きはできない老百姓たちがこんないい香りのする花を知らなかったはずはないから...

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2005/06/29

平架あるいは出架

 さる先輩から”『〈蘭蕙小史〉名品賞析』を読んでたら、西神梅の説明のところに〈花は平架あるいは出架〉と書いてあるけどこの平架、出架てどう意味か知ってるか?”という質問メールをいただいた。
手持ちの本を調べてみたら『中国蘭芸三百問』と『蘭花賞培600問』に載っていた。
”叶架”というのが葉の高さ(長さでなく)のことで、
花が葉より上に出るのが”出架”、同じ高さは”斉架”、葉より低いのは”不出架”というようだ。”平”も”斉”も等しいという意味だから”平架”は”斉架”と同じ意味のようだ。

蘭用語は普通の辞書には載ってないのでこの2冊は重宝する。
(日本語でも広辞苑引いてもわからん業界用語多いモンなぁ )

牟老師たちが今、品種、人物、述語、俗語などを解説した『蘭花辞典』を編纂されているようで楽しみだ。

shang-ri-la 兄弟さんは現地で生の老師に教えてもらえるから羨ましいなぁ。

chongguolanyi300wen300wenP85lanhuashangpei600wen


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2005/06/15

“字”のつく名前

 伝統春蘭、九華の名前によく出てくる“字”のつく名前
竜字だとか万字、汪字、長字、吉字、蕩字、和字、華字 etc
ハッスルさんの推測、だいたい当たりのようです。
先日紹介した牟老師の《〈蘭蕙小史〉名品賞析》中、“和字”の項で詳しく説明されています。
“字”は“氏”と同じ意味だそうです。

蘭の古書をたどっていくと〈姓+官名;観堂主、陳八尉など〉だったり〈蘭の種類、色、形態、産地で命名;緑墨素、大葉竜岩素など〉だったり〈人名+花型〉で名付けたり、時代によって名前の付け方に流行りがあって
“字”のつく名前についてはもともと汪字仙(汪さんの水仙弁)とか和字梅(和さんの梅弁花)と言ってたのがその後弁型を表す仙、梅が省略されて汪字、和字と呼ばれるようになった。“字”のつく蘭は水仙弁!?のイメージがあるけど、たまたま水仙弁が多いのと水仙弁の代表選手竜字、汪字があるのでそういう印象が強いだけ。
というようなことが書かれています。

私のいいかげんな読解力ではあんまり書くとボロが出そうですが、ここ10数年中国ではこんな研究も盛んなようで、じっくり読んでみたいと思って50の手習いで中国語を勉強してます。

中国蘭の名前を見ると栽培者、発見者の人名を付けたものが多いですね。
フルネーム(宋錦旋梅)とか下の名前だけ(元吉梅;陳元吉さん発見)とか、
日本ではこんなのあんまりないですよね。

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2005/06/13

〈蘭蕙小史〉名品賞析

lanhuixiaoshimingpinshangxi 昨年11月に発刊された牟安祥老師の大作。
《蘭蕙小史》に記載されている銘品一華92種、九華62種について《蘭言述略》、《蘭蕙真伝》、《蘭蕙同心録》など多くの古書の記述を紹介しながらその出自、特徴などを実に詳細に比較考証されています。
もともと、「中国蘭花網」というWEBサイトの掲示板に『〈蘭蕙小史〉補遺』と題して100回に渡って投稿された氏の記事が、読者の強い要望によって本となったもの。中国の蘭人の蘭への思いのすごさが伝わってきます。
小原栄次郎の《蘭華譜》も随所に紹介されています。

この本の出版の過程で《蘭蕙小史》の写真の原版が発見されたそうで最近の『蘭花宝典』に連載されています。
《蘭蕙小史》のほとんど輪郭しかわからない写真と違って、白黒ながら非常に鮮明です。これもぜひ再版して欲しいものだと思います。

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2005/06/12

《蘭花宝典》

lanhuabaodian 6回の試刊号を経て今年1月から中国で発刊されている月刊誌。バイオの広告なんぞから紹介してしまいましたが、各地の蘭展の様子も詳しく載っています。
写真もきれいだけど、いろんな最新の研究、情報は中身が濃いです。ほんと、この国が本気になったらかなわんという気がします。
発行元は 漢域文化《蘭花宝典》雑誌社
         中国広州市寺右新馬路五羊新城広場2521室
         E-mail : hylanhua@vip.sina.com
日本では菁蘭苑さんとすずき園芸さんで扱ってるようです。
中国の本は現地で買うとずいぶん安いけど送料が本代の倍ほどかかったりします。
『中国語のEメール表現』(アスカ社)なんかと格闘しながら直接購読してみるのも面白いです。

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2005/06/10

中国の組培技術

sobainae 中国では最近の下山新種もすごいけどバイオの方もすごいことやってますね。
右の写真は『蘭花宝典』という雑誌に毎月載っている広告。
5月号では〈中国蘭組培的産業化、開発技術〉なんて特集でメリクロンのやり方が詳しく載ってました。当然、交配実生もやってるんでしょうね。
そのうち、関頂でも剣陽蝶でもなんでもみんな
10元/苗なんてなるのかなあ?!
バラやチューリップの切り花買うように誰でも楽しめるようになって、それはそれでいいことなのかもしれんけど...?
私はワケがわからんようになる前に昔の銘品をできるだけ集めとこうと思ってます。

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2004/10/20

中国の蘭友

 蘭友などと呼ぶには畏れ多いような方と知り合いになれた。
こちらは以前から中国の蘭のサイトで拝見して知っていた牟安祥という方、
日本の『蘭華譜』も含め、古今の蘭書、蘭花を研究されていて、その研究内容、人徳ともに非常に優れた方である。
新しく蘭書を出版されるにあたっていくつかの品種の写真をネットを通じて募集されていた。
たまたま、今春咲いた花の写真があったので長字と武林仙の2枚を送ったところ、大変丁寧なお礼のメールをいただいて恐縮している次第。
 しかし、私の方は中国語はNHKラジオとテレビで4月から勉強しはじめたところ、読むほうは漢字なので半分くらいは分かるが返事を書くとなるとどう表現したらよいか?時間がかかりそう。

『《蘭蕙小史》名品賞析』という本で11月に出版されるとのこと。楽しみである。
入手できたらまた紹介します。

b.JPG
      「武林仙」の花

訂正
この「武林仙」その後の開花を見ているとどうも宜春仙のようです。
牟氏の2冊目の著書『蘭蕙縦横』では訂正されてます。
          2009.2.15記

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2004/09/25

老十円の故事

中国春蘭四天王のひとつ”老十円”の物語です。

************************************
《蘭蕙同心録》の著者の許霽楼先生はかつて春蘭の老十円について
   月様団欒花様嬌,金銭争買暗魂銷;
   如何魚目珠同混,銅雀春深有二喬
と詠んだ。
老十円が満開の時を満月に、その花の形、色の美しさを三国時代の絶世の美女二喬に例えている。
 さて清の道光の後期、大運河は南北交通の要であった。
その蘇杭の両岸の田畑を天でつないで、広々とした水面には多くの帆船が行き交っていた。
しかし嘉興を横切る時、すべての船は先にどうしても帆を降ろし、マストを倒して、“端平”と“北鯉”の二つの低い橋を通過しなければならなかった。
橋の前に立つ“落帆亭”の名の由来である。
 落帆亭の後ろには、“修拡寺”というお寺があって、毎日早晩、行き来する船の船頭は、はるか遠くから低い鐘の音を耳にすることができたので、いつしかこの落帆亭と修拡寺は、往来する船舶の一里塚となった。
 ある日の午前、1隻の大きな木造船が突然落帆亭のあたりに止まると、船倉から白髪混じりの髭を生やした、やせた雲水の僧が出てきて、岸に跳び降りた。彼は頭をもたげて黄色い塀の中央の大きい門の上にかかげられた“修拡宝刹”という大きな4文字を見上げると、歩いて門を入り、寺の中の僧侶に両手で合掌して“阿弥陀仏“を念じ、すぐ持っていた黄色い朝山袋から”度牒”を取り出し、寺の僧侶と応対した後、この寺に起居するようになった。
毎日僧徒と一緒に念仏を唱えお経をあげるほか、暇な時には寺の裏の菜園に行って働いたりして、他の僧達ともうち解けて暮らしていたが、しかし雲水の和尚はもともと寺に属する僧と違って、ながくじっとしていることができなくて、何日かの後、彼はついに修拡寺に別れを告げた。
光陰は矢のごとし。
慌ただしく1年過ぎ、2年目の早春2月、河岸の葦の芽がやっと水面に現す頃...
ある日、あの雲水の和尚が突然また修拡寺にやって来た。彼は左手に蘭草を下げ、右手は黄色い布袋を持ち、境内で草花を栽培する鉢を探すと、持って来た蘭草を植え、菜園に置いて育てた。
環境が適したため、一月もしないうちに、その多くの鉢の蘭花は競って芳い香りを放ちはじめた。
和尚達は心から喜び、こちらの盆花をすこし嗅ぎ、またあちらの盆花をすこし嗅いでは、口々に言った:“すばらしい、本当にいい香だ。”
みんなで蘭花の鉢を捧げ持ってくると仏殿の前の石段の左右双方に置き、寺にお参りに来る信者や参拝者達が観賞できるように供えた。
人は常に言っている:“縁があれば千里の道でも来て出会う。”
この蘭花は開放すると、意外にも嘉興の多く愛蘭同好の士が修拡寺にやってきて、南湖のあたりに住む楊という老人は雲水の僧と更に話が合って、だんだん深く友情を結ぶようになった。
話の中から老人は僧の蘭花が四明山から出たものであることを知った。
 さてこの嘉興は浙江の北杭の嘉湖のデルタに位置して、江南の水産物や米の豊かな土地である。
昔から軍事家が必ず争った地で、清朝咸豊の末期には、清軍と太平軍は一帯で激しい争奪戦を展開した。(歴史上“三屠嘉興”と称している)
当時多くの人たちが戦乱で死に、また逃げる者は逃げ出して、全体、嘉興城は一面荒れ果てて見る影も無くなった。 
楊老人一家は早く逃げのびたので、運よく災難を免れることができた。
戦乱が静まってしばらくして、老人が再び故郷に帰ってみると、多くの親籍友人は命を落とし、修拡寺も一面廃墟になって、ただ落帆亭のみ残っていた。あの仲良かった雲水の僧は、生きているのか死んでいるのか、行方はわからない。
老人は独りでひとしきりうろうろし、寂しく落帆亭の下に座って、滔々と流れる運河の水を眺めながら暗然として涙を流した。
 数日後、楊老人は田舎の親戚を訪ねた。
途中、彼は突然、木魚の音に続く、“南無阿弥陀仏”の声を聞いて篤くなった。
老人はじっと聞く:とても聞き覚えがある声“ああ、あなたか!”この意外な出会いに老人はしばらく驚喜して声が出なかった。
2人は出会って、悲喜こもごも至り、雲水の僧は語意探長に言った:
“劫数かな、私は各地を転々として住まいが定まっていない、あなたにお願いしたい:すぐに修拡寺に行って蘭花を救ってやっていただけないだろうか。”
翌日、楊老人は修拡寺に行き、彼は崩れ落ちた壁と垣根に直面して、蘭を育てていた場所を探し当てると、瓦礫をかき出して、小石をどけ、ついに蘭草を見つけ出した。すでにほとんど枯れしぼんでいたが、ただ1鉢だけまだ緑の葉の数片が残っている株があった。彼はしみじみとこの緑色の不完全な蘭草をながめると、家に持ち帰り植え直した。
老人は一心に育成し、翌年蘭花は再びいくつか新しい芽を出した。同治の頃には、立派な10条ほどの株になり、それ以後蕾があがり花が咲いて、老人は喜んだ。
更に老人を喜ばせたのは花が変化に富んでいることである:同じ鉢中で梅弁花が咲いたり、梅型水仙弁が咲いたり、また杏仁弁花が咲いたり、千姿百態で、本当に得難い。
老人はしみじみとこの蘭花を眺めて、また雲水の僧を思った。
心中考えた:雲水の僧はいつも合掌している、この花は三弁まろやかな円弁で一字形の平肩を呈して、下部の1本の花茎を合わせると、“十”の字になるではないか、“十円”と名付けよう。
 戦後数年のうちに、多くの蘇北、紹興、余杭の人は次々と嘉興に移り住むようになり、嘉興城は急速に活力を回復させていった。
 咸豊2年の春日、余姚の蘭客の張聖林は嘉興に着いて、楊と言う老人が南湖あたりにいて蘭を多年育てていることを聞き及び、彼は老人の住所を探し当てた。
老人の家に入ると蘭花が盛んに咲いており、特に一鉢の三弁が広々として、付け根のしまった丸い花を見て、この花を売ってほしいと老人に申し入れた。
老人は断って言った:“この花は私のものではない。”
張聖林はそれを聞いて、心中がっかりした。
しかし、老人がこの蘭花の曲折したいきさつを紹介するのをじっと根気よく聞いて、老人の気持ちを理解することができた。
老人は張聖林が四明山から来たことを知って、やっと安心して言った:
“私はすでに高齢だ。願わくはこの大難を生き延びた花を彼女の故郷に持ち帰っていただけまいか。これはこのおいぼれとあの高僧の共通の願いだ。”
張聖林は蘭花を両手で捧げると、至宝を手に入れたかのように、何度もうなずいて言った:
“必ず、必ず。”
張聖林がこの蘭花を得て、余姚に持ち帰ると、何人かの蘭友達に分けた。蘭友達は長期間養てる中で、この十円という品種の花の咲きかたに常に変化があることを見つけた。
弁形が同じでないばかりか、青軸、赤軸があり、後代の人はまた“集円”とも呼んだ。

                  莫磊 陳徳初

  東方蘭花網 より
  山本 猛 訳

原文を見たい人はここから ↓
  http://www.orchid-cn.com/ysqw/rygs.htm

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宋梅の故事

中国の<東方蘭花網>というサイトで見つけた記事を翻訳してみたので紹介します。

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 浙江紹興の会稽山のあたりに、戸数40、50戸の小さな村があり、村の人は皆宋姓であったので、この村は宋家店と呼ばれていた。
清の乾隆年間の頃、この村に宋錦旋という商人がいた。
彼は紹興産のお茶や山の産物を杭州、蘇州に運んで売り、そこでカランや木綿地などの日用雑貨を仕入れて帰っては紹興でまたそれらを売る商売をしていた。
商売が順調にいき、10年を経て、彼は小さな店を構えていたが、次第に店を大きくして、当地では有名な裕福な家になった。
 この宋錦旋は裕福ではあったが、しかしもともと貧困の出身であったから、生活に困っている郷里の人達に対して、いつも非常に同情して、度々いくらかのお金や食べ物を援助してあげた。自身は酒もたばこもたしなむことなく、質素な食事と清貧な暮らしに満足していたが、ただ蘭を育て愛でることだけは彼の人生最大の楽しみで、いつも1鉢のよい蘭花を得るために金を惜しまなかった。
 彼の家の近くの山には、蘭花があった。
春の仕事が暇なとき、彼はいつも竹かごを背負い鋤を手にして山に蘭を採りに行った。
しかし数十年苦労して探し求めたにもかかわらず、1株のよい蘭に出会うこともできず、彼の心の中はいくぶん悶々とするものはあったが、それでも落胆することもなく、無心に探し続けた。
また1年が過ぎ、元宵節を過ぎて、大地は次第に暖かい湿った気につつまれて、茶木の新緑が萌える季節となった。
夜、宋錦旋は独り床に横になりながらまた蘭のことを思い起こし、独り言を言った:“至る所蘭を探し求めたが、良い株を見つけるのは本当に難しい。
私は水に映った月を採ろうとしている猿のように無駄なことをしているのではないだろうか?”考えているうちに、彼は続けざまに何度かあくびをすると、頭はうとうととしてきた……
 突然、彼は白髪の、斜め襟の衣服を着、両手に玉の腕輪をした、年の頃は60過ぎの老婆に出会った。
彼の前に1人の年の頃15、16歳の娘を連れて来ると、礼儀正しくお辞儀をして言った“この娘は私の近所の娘なのですが、両親を亡くし、まったく寄る辺がありません。私は先生が他人の困苦に同情し、よく人を助けるてくれると聞き、この娘を連れて来ました。下女として、ただ衣食を満たしてやっていただくわけにはいかないでしょうか?!。”
話し終わると、老婆は一種の切望の眼差しで、宋錦旋の回答を待っている。
宋錦旋は子細にこの小女を見ると、着ている衣服は襤褸ではあるけれど、しかし澄んだ目と眉は利発そうで面長で端正な顔立ちは、本当に美しく気品があり、思わず何分かの感慨を禁じ得なかった。
彼はすぐにうなずき、そして言った:
“お婆さんの話はよく分かりました。私ももともと貧しい家の出身です。貧しい者同士、隣人同士お互い助け合わなければならない。これは里の古い言い伝えだ。
彼女を私の養女にしましょう!お婆さん安心してください。”
老婆は娘を残して、何度も頭を下げ、感謝の言葉を言った。
宋錦旋もていねいに老婆を門口まで送り手を合わせて別れを告げた......
 ゴロゴロと鳴る春雷の音に宋錦旋は驚いて目を覚ました。気を落ち着けてみると、さきほどの出来事はすべて夢の中のことであったと知った。
したたり落ちる春の雨音を聞きながら、一心に夢の中のことを考えると、彼はしばらく寝つかれなかった。
 何日かの後、風も穏やかで暖かな午後、宋錦旋はまた蘭を探して山に登った。
彼は蘭が日陰の斜面にあることを知っていて、多くの蘭を見つけはしたが、どの花もつぼみの先は釘のようにとがってやせていて、色も薄く葉幅も細い駄花ばかりであった。
ひと山またひと山と引き続き探し求めた。
山中、春風は顔をなで、鳥達はさえずり、静寂な雰囲気....。
宋錦旋は蘭探しのおもしろさに没頭し、ふと頭を上げて見ると、空の果て赤い日はすでに西に傾いていた。
彼は疲れきった足を引きずり、幾ばくか失望しながらゆっくり山を下りて行った。
途中、ちょっと油断して、山道の出っ張った石につまずいて、仰向けに転んでしまった。
幸いにもそこらはゆるやかな斜面だった。
彼はゆっくり起きあがりかけた。
ふと向こうのイバラの叢の中にそよ風に揺れる一株の蘭草を見つけた。彼はこんなやせた土に蘭が生えているはずがないのにと不思議に思いながら、近寄ってよく見てみた:
この蘭の葉は夕日の下で緑は濃く広々としている。つやつやと光り、しなやかに湾曲して、よく調べてみる値打ちがあるように思えた。
更によく見ると:蓮のように太いつぼみ、彼は思わず身震いした。
心の中で思った:半日来全く収穫がなかったが、今、こんなよい花に出会う事ができた!?
彼は袖をまくり、掌につばをはくと山鋤をしっかり握って、まず蘭の周りのイバラを除き、それから慎重に蘭を掘り起こした。それをかごに入れると、急ぎ山を下り、家に持ち帰り鉢に植えた。
 10数日たち、蘭は春の日に促されるように、ゆっくりと花蕊が成長して、ついに開花した。
この花は葉から高く上がり、平肩で軸は青く、三弁は浅緑、緊円で、先端はとがり、三弁の周辺には白い覆輪がはいり;蚕蛾棒芯、劉海舌、葉は幅広で先端部は丸く、渾然一体となって対照の妙をなし、その姿は少女の如く優雅だ。
しなやかで上品な姿。
宋錦旋はこれが確かに梅弁の最高級品であると分かって、至宝を手に入れたかのように喜んだ。
彼は朝見て、昼に見た:昼間見て、夜は灯をともしてまた見て、それでも依然として見飽きることがなかった。
彼は半月前に見たあの不思議な夢を思い出した……“あ”!
彼ははっと悟った:この蘭の葉姿、楚々として心を打つ花形は、夢で見たあの娘ではないか!?
それから、宋錦旋はいっそう心をこめてこの鉢の蘭を育て、そして自分の名をとって“宋梅”と名付けた。
その後200年余り、江蘇・浙江一帯の蘭を育て蘭を採取する人々は次々と新しい多くの梅弁の蘭を探し当てたが、しかし宋梅を越えるものはなく、宋梅はその後ずっと梅弁の手本であり、梅弁の典型的な代表であり続けた。

                    莫磊 陳徳初

    東方蘭花網 より
    山本 猛 訳

原文はここにあります ↓ 
  http://www.orchid-cn.com/ysqw/smgs.htm

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