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椎葉探訪

1月3日、都城市郊外の温泉宿での同窓会を終え、老同学T君に宮崎市内まで送ってもらって昼過ぎ別れたが、予約してある帰りの船は4日夜発、さてこれからどうしようか!?年末から暖かい日が続いたし明日も雪の予報はない、宮崎駅前でレンタカーを借りてひとりで椎葉までドライブすることにした。
去年中学の同窓会で訪れた西都を通過、木城の新しき村あたりから小丸川を遡りダム湖沿いに尾鈴山の裏側を廻り、美郷町経由で椎葉へと向かう。
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村の花が寒蘭とは旧南郷村のことだろうか?美郷(ミサト)町なんて知らんぞと思ったら東臼杵郡の旧南郷、西郷、北郷の3村が合併して美郷町になっている。

このあたりは1500m前後の山々が連なる九州の脊梁地帯。椎葉はその昔、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人達が逃げ延びて隠れ住んだ地である。
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当時こんな舗装道路や橋はもちろん、馬車が通れる道もなかったことだろうがこの山奥の村にも追っ手はやって来た。平家残党を討伐するために派遣された源氏の那須与一の弟大八朗は、村人達が貧しく暮らしているのを見て討伐を断念し、平清盛の末裔である鶴富姫に恋してこの地に住み着く。しかし幕府より帰参の命が下り、姫とお腹の子供を置いて鎌倉に帰ってしまう。この悲恋物語を歌ったのが民謡「ひえつき節」である。

昭和30年に完成した上椎葉ダムは当時日本最大のアーチ式ダムといわれた。この頃、戦争で荒廃した日本復興のための電源開発と雇用確保を目的として各地にダムと水力発電所が作られた。
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実はこの椎葉に私は住んでいたことがある。といっても1、2歳の頃の事なのでまったく記憶にない。敗戦で着の身着のままで朝鮮から引き揚げてきた両親らは大阪の親戚やらを転々とした後、宮崎にやってきてこの上椎葉ダムの建設にも携わった。記憶はないが台風で暴風雨の中を夜、姉や兄の手を引き私を負ぶって山の上まで避難した話や、飯場の天井の梁の上を鼠が走るのを「チュチュが、チュチュが・・」といって赤ん坊の私が喜んでいたとかいった話は子供の頃、姉や母からよく聞かされた。2歳下の妹はここで生まれたので椎葉の一文字を取って葉子と名付けたそうだ。
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国道といっても山道は対向車が来たらどちらかがそうとうバックしないと離合できないような狭い荒れたところもある。それに山からしみ出す水はつららになっていて、路面が凍結していたりする。
南国宮崎といってもここから数10km行ったところにはスキー場もあるのだ。
西米良村を通って、途中三納と三財にも寄って夕方無事宮崎に戻り、帰京した。

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コメント

九州なのに snow寒そう!

投稿: 儿 | 2013/01/13 21:33

寒かったですpenguin!

投稿: 中国蘭迷 | 2013/01/13 22:36

歴史のお話、アーチ式ダムのお話、戦後のお話、そして同窓会のお話、興味深く拝読させていただきました。また最後の南国のつららは意外でした。

投稿: つぼみ | 2013/02/18 09:12

つぼみさん:
ここ数年、毎年浙江省江蘇省あたりの蘭の故郷を訪ねていますが、バスの窓から見る風景がすごく懐かしい感じがするのは子供時代の郷里の風景に似ているからかもしれません。

投稿: 中国蘭迷 | 2013/02/18 23:33

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