45年ぶりの再会・・・花甲同窓会
干支というとほんとは十干十二支(天干地支ともいう)の略で甲乙丙・・・の10進法と子丑寅卯辰・・・の12進法を組み合わせた60進法による古代中国に始まる暦法のこと。
ただ、生まれ年の干支(えと)というと十二支のことだけを言ってることが多いですね。
今、十干も含めていうのは丙午(ひのえうま)くらいでしょうか!?
暦が一巡りする「還暦」と言う言葉は中国から来た言葉だろうと思ってたら、そういう言い方はなくて中国語では花甲 huājiǎ というそうです。
この正月、故郷宮崎で中学校の還暦同窓会をやるというので1/2~1/5、久しぶりに帰省してきました。
帰省と言っても中学卒業後まもなく実家も県外に引っ越して、生まれ育ったこの地には親戚もないので、ゆっくり訪れたのはほんとうに久しぶり、自分としては感慨深く、濃い4日間でした。まだうまく言葉で表現できないものが多々あるのだけどここにちょっとメモしておくことにします。
他人様が読んでもちっとも面白くない記事だと思うのでこの先はスルーしてください。
(以下編集中)
1/1夜、フェリーにて大阪港を出発。
乗客はほとんど帰省客のようで聞こえてくる会話はみ~んな日向弁、乗員も皆宮崎の人のようだ。関西弁は聞こえない。
1/2、朝8:30宮崎港到着。
船が港に着く1時間以上前から荷物をまとめて下船口に並んでいる乗客もたくさんいて、そのはやる気持ちはよくわかる。
甲板から、中学校の校歌に「北に尾鈴の山青く、南霧島峰高し・・・・」と歌われた尾鈴山も霧島山もはっきりと見える。3.11以後もこっちはこっちで新燃岳の噴火は続いていたのだけど、今はすっかりおさまっているようだ。
尾鈴山 故郷西都市の立体地図
右上の立体地図の左上あたり、一ツ瀬川の支流、三財川の流域が私の生まれ育った三財(さんざい)という地域。
この日は宮崎市内に住む姉、義兄とともに車で叔母の家、祖母や叔父の墓参り、5歳くらいまでいた桟敷野というところや次姉の眠る三納の墓を尋ね、夕方3日間予約しておいた西都市のホテルまで送ってもらう。
生家跡
ここで生まれて5歳くらいまでいた。山の中の一軒家で当時は電気は来てなくて、釣瓶式の井戸があった。写真の家は住んでた元の家ではなく次の人が立て直したものだが、この家も今は無人で農業倉庫だけが使われているようだった。4歳下の弟が生まれた日のことも覚えているが幼児期の記憶は動画ではなく一コマだけの断片的な写真のような記憶である。植物については家の周りの山に春蘭や金蘭や椿の花が咲いていたのを鮮明に覚えている。
私の父母はもともと宮崎県人ではないが敗戦後、朝鮮から引き上げてきて親戚に居候したりした後、ここに家を建てしばらく住んだらしい。今回一廻り年上の長姉と来たので私の記憶にはないその当時のことをいろいろ教えてもらった。
右上の写真は次姉のお墓から見下ろしたところ。田んぼに鶏かなんかいると思ったら猿の群れだった。10匹ほどいた。
1/3 ひとりで古巣を歩きまわる。
生まれてから中学を卒業するまでに私の家はこの三財地区内を4回引っ越しした。それに中学時代は陸上部(長距離)だったが、グラウンドはサッカー部やラグビー部に占領されていて、もっぱら学校の外を走っていたので学区内はどこも庭のようなものだった。今回は昔住んでた所や走った路をゆっくり自分の足で歩いて回ることにした。
. 岩崎(大字下三財で一番の繁華街) 中学校
我々の頃は小・中学校とも1学年4~5クラスあったのが、今はどの学年も1クラスになっていた。学校の周りは畜産農家が多かったが入り口周辺一面に撒かれた白い消毒薬が痛々しかった。BSE、口蹄疫と近年2度も壊滅に近い打撃を受けている。
. お気に入りだったランニングコース 旧道
小学校の低学年のころ住んでいた諏訪地区へ行ってみる。
. 諏訪神社 この楠の木に登ってよく遊んだ
水喰(みずはみ)という集落に着いたのは午後1時半、この先にはもう人家はない。宿に戻るには早すぎるし、けどこれ以上奥に行くと帰りのバスには間に合わない。さてどうするべえ・・・
. 水喰 ランニングコース
ずっとずっと奥には寒川(さぶかわ)という20年ほど前に廃村になった集落跡がある。中学時代、夏休みにそこの分校で生徒会役員と先生たちとキャンプしたことがあった。明るいうちになんとか着けそうだし、帰り、日が暮れても今はお月さんちょうど真上あたり。雨が降ることはなさそうだし、疲れて歩けなくなっても河原に下りて流木を集めて焚き火をすれば一晩過ごすことはできる。と更に進むことにした。しかし、マッチとヘッドランプ持ってくればよかったな。
寒川へ
深いV字谷が曲がり、くねり、瀬になり淵になりしながら流れており、谷の右岸20~30m上がった中腹に道が付けられている。携帯はずっと圏外。
遡るにつれ、河原の石は大きく角張ってきて、家ほどの大きさの岩もゴロゴロしている。
山は杉や檜の植林もあるがほとんどは照葉樹の原生林である。
この風景が好きで中学時代はこのコースを一番よく走った。陸上部の顧問は名ばかり顧問だったのでその日の気分で好き勝手に練習したものだった。この道は山の奥で尽きるはずだが終点まで行ったことはなかった。
道の山側の岩壁には時々、狩猟の供養碑やお地蔵さんが鎮座している。
美しい谷は続く
最後の集落水喰から2時間ほど歩いた橋のところで谷は二つに分かれ、右は蛇篭川、左は前川と名前が変わる。左に少し進んだところが寒川集落への入り口。ここから急なジグザグな坂道を30分ほど登り詰めると集落跡に到着。予想していたのと違うショッキングな風景があった。
20年ほど前に最後の数戸が山を下り廃村になったとは聞いていたが、山仕事のための基地には使っているだろうと思っていたら、10戸くらいの民家はどの家も朽ち果てていた。
昔、キャンプした分校跡を捜したがこの日は見つけることができなかった。
時間も午後4時を回ったていたのでもと来た道を引き返した。月明かりの谷沿いの道を4時間ほど歩き、その日の出発点の亀塚あたりでタクシーを拾い宿に帰った。
1/4 同窓会
午後1時に都萬(つま)神社に集合、みんなまとめて厄払いしてもらう。
この時点では誰が誰やらさっぱりわからない。
会場に移動し飲み、食べながら話すうちにだんだんだんだん判ってくるからおもしろい。
同じ学年5クラス180数名いたうちの52名が参加。小学校の恩師1人と中学校の恩師2人も駆けつけて下さっていた。小学6年のとき担任された他の先生はもうみんな人間界を卒業されたとのことだった。
なんだかんだでカラオケスナック2軒、野猪料理屋と4,5次会まで盛り上がり宿に戻ったのは日が変わってからだった。
1/5 3日に回れてないところを同窓生の車でドライブ
1/6 空から帰京
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コメント
Fujimotoさま:コメントありがとうございます。
地元では5年おきくらいに集まっていたようなのですが、私は自分も実家もこの地を離れその後何度か引越ししたので行方不明になっていたしだいです。
45年も経つと道は新しくバイパスができたり、元の道でも拡幅され、町並みもすっかり様変わり。山の木も45の年輪を重ねて大きさも枝ぶりも変わり違う風景になっています。浦島太郎の気分でした。
でも山は青き、水は清き・・・はそのまんまでした。
投稿: 中国蘭迷 | 2012/01/17 12:40
ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの...帰る故郷は、もうそこにない、ということですね。
しかし、45年ぶりということは、その間は一度同窓会がなかったのですか。いや、すごいです。誰が誰やらさっぱりわからない、と仰られましたか、それもそうでしょうか。
投稿: T.Fujimoto | 2012/01/16 23:17
つぼみさん:
最近こども達に対する物騒な事件のニュースをよく耳にするので学校内には入れてもらえないかな?と私も心配していたのですが、正月休みで建物は鍵がかかっているものの、校庭やグラウンドは自由に歩き回ることができました。花壇や窓の外から無人の教室を覗いて後輩たちの様子を垣間見ることができました。
今回の記事は追加で書き足していくと際限なく続いてしまいそうです。
投稿: 中国蘭迷 | 2012/01/14 21:22
つぼみです、今年もよろしくお願いいたします!
「まだうまく言葉で表現できないものが多々あるのだけど…」感無量でしょうね。
最初のからずっと拝読させていただきました。懐かしい思い出がいっぱい思い出されたのでしょう。
私も数年前に自分(自分の母、そして母の兄弟たちも)が通った小学校を訪ねに行きました。しかし警備の若い男性はどうして私を中に入れてくれませんでした。その時に私は考えたのは「私がここを通ったときに君はまだ生まれていなかったのよ!」(はは)
投稿: つぼみ | 2012/01/14 20:30
寒川ですか、、、、実にショッキングな写真ですね。富山でも同じような風景を見ますが、正直言って正月から絶句・・・・・・です。
投稿: 蘭翁 | 2012/01/14 19:17
人気のない山奥の風景
神が宿ると言われれば頷けそうな荘厳さを湛え、、
春蘭や寒蘭をそんな場所で育てたい。
三つ子の魂 六十にして 迷・・・
投稿: 儿 | 2012/01/14 11:54
蘭翁さま:
今年もよろしくお願いいたします。
そうなんです。日向は寒蘭やエビネ、オナガアオイなどの名産地ですが、それを知ったのは京都に来てだいぶ経ってからでした。
春蘭は生家のすぐそばの山にたくさん生えていて見たのは3~5歳の頃なのに花軸の白い苞衣まではっきり覚えています。
投稿: 中国蘭迷 | 2012/01/14 09:54
開けましておめでとうございます。
そうなんですか、ルーツは日向ですか、何か京都とはチョット異なる肌触りの印象を持ってましたが・・・・日向と言えば寒蘭の名産地、、、、簡単にはスルーできませんね。
投稿: 蘭翁 | 2012/01/12 21:36
もう 感暦だし
おたがい疲れ儿のも当然!
「追加」は墓地墓地・・・
投稿: 儿 | 2012/01/12 20:50
ぼちぼちと追加していきますのでもちょっと待ってね。
ハードだった正月休みの疲れが今頃出てきてます。
投稿: 中国蘭迷 | 2012/01/11 22:17
何回か スルー してみましたが、
もっと詳しく知りた・・・・
九州の奥地に行ってみたいと思います。
投稿: 儿 | 2012/01/11 21:23