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オマケの写真がこんなところに・・・

《 春蘭譜 》 笹山三次・永野芳夫共著 昭和35年10月 加島書店発行
蘭華譜元版にはさまっていたオマケの写真と同じ写真が2枚載ってました。
蘭友(先輩)のKさんから教えて頂きました。ありがとうございました。
老十円?と思ったのは瑞梅だったようです。
しかし、ということは元版の元の持ち主は永野氏に近い方かひょっとしてご本人?? まあ、個人の詮索はいいんですけど、おもしろいです。
 
syunlanfu zuibai yokocho2

ちなみにこの本の著者の笹山三次と永野芳夫は同一人物。”笹山三次”は永野教授が蘭に関する文章を書くときのペンネームだそうですが、どういうワケかときどき共著という形で書いてられます。戦前、戦後の東洋蘭界のリーダー格のひとりだったようです。

左下はこの《春蘭譜》にはさまっていた領収書。
ryosyusyo
昭和38年;東海道新幹線が開通する1年前、私小学校5年?だった。当時の物価水準は製造業の賃金レベルで2000年を100とすると7.3、教員の初任給が14300円だったそうです。この方、なに買ったんだろ?


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コメント

えー.....13歳でした。

投稿: lishui | 2005/10/06 00:19

2年先輩ですね。
この頃、切手集めに夢中で新幹線開通や東京オリンピックの記念シートも郵便局に並んで買ったのでよく覚えています。”月に雁”と”見返り美人”はあこがれの的、高値のハナでした。あの切手、何処に行ったんだろ?!

投稿: 中国蘭迷 | 2005/10/06 07:23

中学の先輩が「高校3年生」を「中学」に変えて歌っていたのが思い出されます。学校から新幹線の走るのが望めました。そのころサボテンを集めてました。蘭は30代頃から。
蘭迷さんはいつから始められたの。この領収証自分のだったりして。それはありえ無いか!

投稿: lishui | 2005/10/06 09:35

蘭やり出したのは90年頃でそう古くはないです。それまでは山ばっかり行ってて、中国は1986年に京都府-陝西省友好姉妹都市5周年事業の日中友好合同登山ということで秦嶺山脈の太白山に登ったのがはじめてでした。今のヨメはんはその時の日方隊員同士で・・・・・
その時、母へのおみやげに墨の香りのする蘭の画買ってましたので今思えば蘭迷、板橋迷の下地はすでにあったんですね。

投稿: 中国蘭迷 | 2005/10/06 20:52

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