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あさがお展

asagaoten 今日は朝飯前に義母と府立植物園にアサガオ展を見て来ました。午前6:30の開園間際に着いたら門前はすでに長蛇の行列、駐車場も1/3ほど埋まっていました。
もらったパンフによると、歴史は古くて奈良時代に中国より薬草として伝来、しかし原産地は中国でなく、インド北部、ヒマラヤあたりらしい。江戸時代に大流行し、いろんな品種が作出された。
雄しべ、雌しべが退化した変わりアサガオは種が出来ないから、交配用の親株を保存しなければいけない。
江戸の粋人たちはメンデルさんよりずっと前から、メンデルの法則を知っていたのはオドロキです。

 こり出すとトコトンでかデカ花、トコトン変わりモノ、他人の持ってないモノを追い求めるようになるはアサガオに限らない、蘭の世界も他の古典園芸も似たようなもんだと思いますが、私はごく普通の花のほうが好きです。しいていえばトコトンあっさりしたモノを追い求めたいです。

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『軍旗』改め『和平』のこと

huaping2 昭和3年、上海から持ち帰られ、同7年、陸軍演習の際、連隊旗の前に飾られた故につけられたこの名は、列強、日本軍に国土を蹂躙された中国の人たちにしてみれば屈辱的な名前でしょうが、今、『和平』と改名され愛培されているようです。
すごいオトナの知恵であり、松村父子はじめ多くの日中の先輩方の友好、交流の努力のたまものでしょう。
昨今の反日、嫌中かまびすしきを見聞きするにつけ、こんな知恵でお互いやっていけないものかと思います。

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続・古代の蘭

 「日本の古本屋」を通じて注文していた『中華名物考』青木正兒著という本が届いた。先日のフジバカマの件を調べていたらこの本に蘭の呼び名の経緯が詳しく書かれていると知ったからだ。

この本の「香り草小記」という項によると
北宋の詩人、黄山谷(1045~1105)が『幽芳亭に書す』と題する文章に、
《近世の謂はゆる蘭すなはち『蘭花』を以て古の「楚辞」に詠ぜられたる『蘭』及び『蕙』と見なして其の優劣を論じ、而して二者の区別を説明して『其ノ華ヲ発スルニ至リテ、一幹ニ一華ニシテ香ノ余リ有ルモノハ蘭デアリ、一幹ニ五七華ニシテ香ノ足ラザルモノハ蕙デアル』と云った。これがそもそも間違いの広まる元である》
《その後、南宋に及んで福建を中心に蘭蕙の園芸栽培が盛んになり、文人画家たちが水墨画の題材として貴ぶに至り、遂に古の蘭の名を奪ってしまった。
そこでこの偽蘭の盛行に憤慨した南宋の朱熹は『楚辞辯證』(1199年)で
「大抵古の香草と云うものは、必ずその花も葉も皆香り、乾いても変わらないから、刈って佩(おびもの)とすることができる。もし今謂うところの蘭のようであったならば、花は香るが葉は香気が無く、香りは美しいが質が弱く萎びやすく、とても刈って帯びられるものではない。それが古人の指す所でないことは甚だ明らかである」と辯じ、
また南宋の陳傳良は『盗蘭説』を作り、元の方囘は『訂蘭説』を作って、皆其の偽を辯じて、誤を正そうとしたけれども大勢は如何ともしがたく、遂に明末の李時珍の『本草綱目』に至り、
・古代の蘭→『蘭草』『澤蘭』『山蘭』 とし
・近頃流行りの偽蘭→『蘭花』  として区別しようということになったそうです。

ちなみに我が国の小野蘭山の『本草綱目啓蒙』によると
蘭草:フジバカマ、山蘭:ヒヨドリバナ、澤蘭:サワヒヨドリバナにあたるそうです。
どれも花だけでなく葉、茎にも芳香があり、その香りは陰干しにするといっそう強くなり、昔の貴族は風呂に入れて身を清めたり、ドライフラワーにして衣服に付けて香水代わりにしたようです。

黄山谷が蘭蕙にしてしまった「偽蘭」がそれ以前なんと呼ばれていたかはこの本にも書かれていません。
名も無き草花だったんでしょうか?!

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うちの柄もの

イチョウは30年後には大木になってるでしょうか?
ツユクサはそこら中にはびこってしまった庭の雑草です。
蘭はイチオー軍旗と富水春は持ってます。他はこれから新芽にヘンな柄が出ないことを祈るばかりです。名札を追っかけるあまり仕入れ先が増えると時々ヘンなのも紛れ込んで来ることがあります。

ichotuyukusa

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梅雨明け!?

 蒸し暑かった昨日とかわって今日はちょっとまし。
朝から鶏を小屋から出して庭と石垣の草取りをさせました。
オイオイ、それはかあちゃんが大事にしてる草だからダメ、おまえが食べられちゃうぞ!
睡蓮鉢の中でメダカの子供がたくさん生まれてました。
荷花弁の蓮弁ほしい。
suirenasagao

蘭のほうは
ネジバナの鉢、もとはなんだったろう??
裏の槇の木につけた風蘭も花盛り、こちらはもとは湖東錦と神代ともひとつなんかだったらしいけど...
うちに来ると富貴蘭もただの風貴蘭になってしまう。
nejibanaFulan2                                                                                                                                                                                               でも素心だ。


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火焼蘭は

一茎九華(Cymbidium faberi Rolfe)の雲南地方の俗称だそうです。
『滇蘭初鑑』という本にその由来が書いてあるんですけど訳に自信ないんでそのまま出します。〈火燎過的土地〉て山火事か焼き畑やったあとのこと?
〈疏松〉は松がぱらぱらと生えてるとこか?と思って辞書引いたら「柔らかいぼくぼくした土」のことだそうです。

9華は浙江、湖北、河南、四川、貴州、雲南、台湾...と分布が広く、
呼び方もいろいろあるようです。
一般的には蕙蘭(huilan)、江浙地方では夏蘭、夏蕙とも呼ばれていて九華という言い方はあまり聞かない。
日本や台湾で”蕙蘭”というと報歳蘭や建蘭の柄もののことですが
大陸ではちがうみたいです。
生育してる環境は海抜1000m以上とか、どこも春蘭よりちょっと高めのようで、
「葉焼けするくらいガンガン日にあてろ」と教わりましたけど、けっこう涼しく作らないといけないのかな!?

この数年、昔の銘品のどれともちがうタイプのすごいのがどんどん山から下りてきていて、値段のほうもものすごいデスね。宝くじ当たったら買いに行こう!
まあ、30年ほど待ってたら増えて安くなってそのうち、うちにも来るでしょう。
 『滇蘭初鑑』
  楊雲著 雲南科学出版社 1992年      2003年刊        2004年刊
huoshaolanhuilanxialan

一茎九華, 中国の蘭書 | | コメント (0) | トラックバック (0)

今日も雨

9kanotane 最近朝夕はちょっと涼しい。
今年は梅雨なしか?と思ってたら6月末からほんと毎日かかさずまじめによく降りますね。きょうは晴れ?と思ってたけどやっぱり夕方から降り出した。lishuiさんと競争してるみたい。

 家の裏で火焼蘭がこんなになっていた。10年くらい前、蓮弁山採りに混じってたやつで葉先が丸かったので期待していたら40本立ちくらいになって昨年からやっと咲き出した。
花弁は端蕙梅に似て丸いものの残念ながら兜はない。
段ボールに撒いたら発芽するだろうか?

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秦梅の名札??

lankeisyoushijouP28 「どう思う?」とのメールもらったんですけどようわかりません。
とりあえず、手持ちの本を切り貼りしてみました→「秦梅.pdf」
うちにはドームの株を分けてもらったのと、別口の小苗(花未確認)がもう一株あります。京都宋梅会ではあと資材部長氏が3株、奈良のT氏が1株、別ルートから入手のがあるので花が咲いたらどれが1番べっぴんさんか見比べてみようと思っています。
増えたら交換しあって作場の違いも含めて比べてみたら面白いかな。
『種苗ガイド』の時代から同名異種、異名同種が多いらしいけど、
たとえばセッコク花ものでは、赤花銘品の雷山は無名時代に各地に散らばっていろんな名前もらってるし、「その名前うちで既に使ってるから変えて!」といった例もたくさんあった。まあ、どれが本物、偽物というより、同姓同名さんがいるよ。ということでしょうか!?


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桃源郷て...

 けっきょく、年寄りと子供が元気でこにこしてて、とりあえず明日食うのに困らなくて花が咲いてりゃ、桃源郷なんですよね!?
30年くらい前のアフガンも桃源郷みたいな美しい村ばっかりだったそうです。子供のけんか、そっと見守っときゃいいのに、ソ連の戦車がやってきて、それに対抗して米国がたりばん育てて...

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古代の蘭

lan 中国書画の網界をさ迷っていたらこんなんありました。
蘭や蕙と言う文字が今の蘭(Orchid科Cymbidium属の植物)を指すようになったのは宋代以後のことだそうです。
その昔、孔子(BC551~BC479)が同病相憐れんで途次、琴をかき鳴らしたのも、屈原(BC343~BC278頃)が九エン百畝に植えたのも、今、私らがはまってしまっている蘭ではない。王羲之の蘭亭序は永和9年(353年)、そのまた昔に越王勾践がこの付近の水田に蘭を植えたのが蘭亭の名の由来とのこと、これもフジバカマ畑だったようです。蘭キチとしては悠久の歴史、古代の聖人の逸話と結びつけたいとこですが残念ながらそういうことのようです。

 じゃあ、唐代以前、山に蘭はやっぱりあったはずでいったい何て呼ばれていたんでしょうか?貴族、政治家が知らなかっただけで山村の読み書きはできない老百姓たちがこんないい香りのする花を知らなかったはずはないから...

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五柳先生の桃源郷は

niwatori そういえば昔、漢文で習った陶淵明描く、ユートピアはべっぴんさんの小姐達がはべり舞い踊る豪華絢爛、酒池肉林の世界 ではなくて、
よい田畑、美しい池、桑や竹の類があって、鶏や犬の鳴き声が聞こえる。畑仕事してるおっちゃん、おばちゃんたちも、老人や子供もみんなにこにこ楽しげで.....
なんや、ここらと同じやないですか!
武陵の漁師が迷い込んだ村にもきっと蘭は咲いてたでしょうね。

蘭花村関係の方でしたらどうぞ、泊まりがけで遊びに来てください。鶏はもうひねたのが2羽しかいませんけど....

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花鳥市場の思い出

 3年か4年前の暮れだったと思います。
蘇州の花鳥市場にはじめて行ったとき、路端で売ってる山採りの春蘭のなかに巻き葉で葉姿のいい蕾がたくさん付いたのがあったので、「おっちゃん、これなんぼ?」
「それ200元!こっちは素心やで、これも買い!」「素心はいっぱい持っとるからイラン。こっちの2条蕾着きの青軸9華と2株200元でどお?」
「いいよ、この素心も買い!」と一つしかない蕾を止めるのも聞かずむいて見せてくれて、結局3株300元(4500円くらい)で買わされました。花型は期待してなかったけど香りが楽しめたらいいやと洗濯モンの中に包んで持って帰って、花が咲いたてみたら春蘭はどちらも香り全くなし。素心のほうもあれはどういうマジックだったのか、りっぱな赤点のある普通のジジババでした。香りはこっちの勝手な思いこみだったとはいえ、あとで思えば30元で充分だったか!?

中国春蘭といっても湖北省以北のは日本や韓国のと同じで香りはないようです。葉っぱの鋸歯が荒いです。
向こうの掲示板に出される下山新花の写真に対して、「香りあるんか?」と同じ意味でよく「湖北の産とちゃうか?」それに対して湖北のひとが怒って「湖北にだっていい蘭もあるで!」「いや、すまんすまん、悪かった」なんてやりとりが載ってたりします。

9華はすぐに枯れてしまいましたが香りのないジジババは邪険に小屋の外にほってるにもかかわらず毎年たくさん花をつけています。

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イセ素心の花

 今日も1日雨、石垣の風蘭とセッコクが元気がいい。
根も新芽もぐんぐん伸びている。雑草も生け垣もよく伸びる。
鶏小屋の屋根の上でイセ素心が咲いていた。キバナノセッコクと、セッコクとの交配種なので花が遅い。普通日の丸になるがこれは素心に咲いたもので、矢もきれいな青軸で気に入ってます。

isesosinisigaki

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雨の植物園にて

 雨の府立植物園は閑散としてました。
月に1度の京都宋梅会の例会は今日は4人だけ。で、いつものラン談義。
どこも新芽の出は遅いし数も少ないらしい。今年は春先寒くて1華がながいこともったもんなぁ。そのせいかなぁ?
とのことでうちだけじゃあないんや。と安心しとったらいかん。

BLOG網情報によると他所ではすごい芽がどんどん上がってるし、「湖州蘭花村」ではもう杭州寒蘭の花が次々と咲いてる。「村再開発」とクーロンジョウ建設の計画もちゃくちゃくと勝手に進んでるみたいで楽しみだなあ。

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風蘭開花了!

fulan 石垣の風蘭が咲き出した。
夜、帰宅すると甘いいい香りが漂って来る。
ここはセッコクや風蘭にはよっぽど居心地がよいと見えて、よく花をつけてくれる。
ホースの水は届かないし、冬は北風吹きっさらしなのに。
根っこはしっかり岩にへばりついて八方に30cmくらい伸びています。

昨日、やっと『蘭花宝典』の6月号が届いた。

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